『穴熊社長の蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)2022年4月号』

「似て、非なるもの」。似ているようで、よく(よくまでもなく)考えてみると、違うものでも同じようにしてしまったりする事がありますね。

「癖」と「習慣」。似ているようで、違いますね。「癖」は、生まれつきや育った環境等によって、無意識に身についてしまう。良くも悪くも、自動的にする、してしまう行動と言えるかと思います。これを自覚しているか、していないかで、自分自身や周囲への影響も変わる。引いては、人間関係にまで影響が及ぶ事がありますね。「自覚」があれば、「気をつけよう」という努力も出てきます。失敗やトラブルが生じて、痛い思いや嫌な思いをしたりすれば、反省し、繰り返しの過ちを防ごうという意識になり、改善の努力をする事になります。但し、この時、「自責」の人になるか「他責」の人になるか。「自責」の人になれば、気づきのきっかけになりますが、「自分のせいじゃない!相手のせいだ!」と決めつけると、失敗を招いた自分の無意識の行動や言葉のパターンに気づかずに、無意識の行動は続きます。けれど、周囲が、「あの人は変わらない」と容認してしまえば、そのまま。容認され続ける人は、幸せなのか不幸なのか。「さて、あなたは、どう思う?」

「私は、朝起きて顔を洗う癖があって…」。これは、習慣ですね。良し悪しを言えば、良い習慣ですね。これは、生まれた時から、言われなくても身に付いた習慣でしょうか。いや、親なりから躾けられて、一定の時間をかけて身に付いた習慣でしょう。仮に、猫や犬が、毎朝顔を洗った場合は、習慣かと問われれば、どちらかと言えば、「癖」の部類と、私は解釈します。

「習慣」は、大事な事、必要な事だから。必ず意味があって、「身につけるべく」「身につけた方が良い」、「身に付けたいから」と、敢えて意識をして繰り返す。意識をして行動を継続し、習慣化し、身に付く。身に付くと、敢えて意識をしなくても、自然とできるようになる。やらないと気持ちが悪い。ところが、出来るようになったつもりが、ひょんなところで、習慣から外れて、失敗をする。また、気づく。気をつけなければ、と。

毎日のお風呂。毎日の3度の食事。習慣化すれば当たり前。けれど、お風呂に入らない。食事も、忙しかったり、面倒に思って、抜く。食べない。それが、習慣化する。規則正しい生活が乱れる。気が付いてみると、健康を害したり、人間関係も変わっていたり。億劫になる。元に戻そう。戻れるか。変われるか。知らぬ間に、感度が落ちる。注意してくれたり、叱ってくれたり、心配してくれたり。身近にそういう人がいてくれる事は、有難く、恵まれている。周囲に感謝が溢れている。無意識の癖。見直してみよう。
今月も、お元気様です。(22・2・24)