『穴熊社長の、蛙鳴蝉噪(あめいせんそう) 2012年 9月号』

私事で恐縮ですが、去る7月24日に、母が81歳の生涯を閉じました。生前中の数々のご厚情に深く感謝し、厚く御礼申し上げます。また、たくさんの弔問、ご会葬、弔電、励ましのお電話等を賜り、誠にありがたく心から感謝申し上げます。
 母は、大桑野尻に生まれ、弊社の前身である依馬米穀店を創業した故父のもとに嫁ぎ、以来半世紀以上を上松で暮らしておりました。父に内助の功を尽くしながら、1女3男を育ててくれました。子供の頃は、子育て、家事、会社の仕事など、とにかく動き通し、働きづめだったように思います。夜お風呂から出た後、昼間、間に合わなかった伝票整理をして、「働くというのは、大変なことなんだよ。」と、私たちを諭すように、先に床へ着くのを促された事を覚えています。
父に先立たれて17年。近所には住んでいたものの一人暮らしで寂しい思いもさせました。反面、自由な時間ももつことができ、自分の趣味を堪能していたようにも思います。子供としては、親が元気で、健康で、心配が要らないことは、本当にありがたいと思える時間でした。私の3人の子供たちも、保育園に上がる前は、家内の仕事の都合上、お昼寝は、毎日母の背中でしていました。その姿をご存知の方もおみえかと思います。そのせいか、今夏我が家に初めて仏壇、祭壇が登場したにもかかわらず、夏休みに入った長男は、ラジオ体操に出かける時、自発的に「おじいちゃん、おばあちゃんいってきます」と帰れば「ただいま」をリンを鳴らして挨拶をしています。一緒に暮らしているかのようです。皮肉な気持ちになる半面、命の紡ぎの不思議さを感じます。両親には、何の親孝行もできませんでしたが、私の結婚が決まった時。本当に喜んでくれて、涙を押さえるあの時の二人の姿が、せめてもの救いです。
 家内の両親も他界しており、親と呼べる人がこの世からいなくなりました。当然、寂しさもありますが、どこかしら、「4つの親の命が心の中で、永遠に思える境地」になりました。これからは、親とこどものどちらにも恥ずかしくないような、生き方を心がけて参ります。皆様の変わらぬ、ご支援、ご指導、ご教示の程、よろしくお願いいたします。 ありがとうございます。
今月も、お元気様です。(12・8・2)
株 式 会 社 エ マ 商 会   依 馬  邦 夫