『穴熊社長の、蛙鳴蝉噪(あめいせんそう) 2013年2月号』

 平成25年の今年は、皆様ご存知のように、伊勢神宮の20年に1度の「式年遷宮」の歳になります。平成17年の6月に、赤沢の檜の森では、「御杣始祭(みそまはじめさい)」が挙行され、神宮へと御神木を送り出しましたね。今年は、奇しくも日本を代表する神社である、出雲大社も「式年遷宮」の歳になるようです。日本の歴史と文化を脈々と継承してきた祭事が滞りなく執り行われ、今年1年、更には次の20年へと馨しく続く日本の未来の安寧を、新春を迎え、心から祈念いたします。
 伊勢神宮は、紀元前5年に「天照大神(あまてらすおおみかみ)」(内宮)が、その500年後に、外宮が創建され「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」が其々2つの御正宮もつことになったと伝承されています。一方、出雲大社の創建は、「日本書紀」の記述から659年という説が有力だそうです。国土を造り、高天原の神々から国譲りを迫られた「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」が祀られています。旧暦10月の神無月(かみなづき)の呼称の理由は、八百万(やおろづ)の神が、出雲に集まるからだとされていますね。その為、出雲では、神在月(かみありづき)と言われ、全国から神が集まり、縁結びの相談をするということから、良縁の神とされています。神宮の天照大御神が天と地を結ぶ「天つ神」、大社が、人と人を結ぶ大国主大神を「国つ神」と考えると、日本の精神文化の崇高性を感じ、日本人としての慶び深いものです。
 これらの起源は、「古事記」と「日本書記」という日本最古の書物に遡ります。自国の文字で、自国の言葉で記録されてきた。当世一代で終わるものでなく、書物による史実の伝承、式年遷宮による継承があってこそこれは日本の歴史に脈々と綴られる。尊重された歴史の反面、「史実の刷り込み」とか、近隣諸国から干渉される「歴史教科書問題」や、歴史認識の見解の違いもあります。その是非を、小欄で論ずる気はありませんが、祖先が築き、教え導いた感謝や恩を、次世代につなげていく日本人の伝統的価値観は、世界に誇れることだ信じます。
 さて、この2月の誕生日をもって、45年にわたり、わが社を守り続けてきてくれた中幡洋子さんが退職します。私が、小学校に上がる前から公私共に支えてくれました。その功績に深く感謝し、今後とも、より良い会社創りに励みます。永い間、本当にありがとうございました。式年遷宮の歳にあやかってと言えば大げさに聞こえるかもしれませんが、人の営みは、国家であれ、地域であれ、家族であれ、会社であれ、本質的には変わりませんね。
今月も、お元気様です。
(13・1・10)
株式会社 エ マ 商 会   依 馬  邦 夫