『穴熊社長の蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)2019年7月号』

新しい元号が始まり、早一ヶ月。新しい時代の幕開けは、世の中も5月という爽やかな季節と相まって希望的な雰囲気の中でスタートしました。新しい令和天皇の職務も、メディアでフレッシュに紹介され、個人的には、世代も近く、親しみ深く感じています。
「平成」の時代は、自然災害に多く見舞われたとの振り返りがあります。いつどこにいても、誰しもが、自然災害と遭遇する時代と、皆が自覚し、「令和」を迎えたと思います。その矢先。いつどこにいても「人災」の当事者となり得ると思わざるを得ない事故・事件が、このひと月に続きました。
滋賀県大津市での、右折車両の衝突から園児が巻き込まれた事故。人間の不注意から発生する誰もが、加害者にも被害者にもなり得る。直後、「松本走り」と指摘され、言われてみれば、一方通行や狭い車道の多い松本市内。わが身を振り返ります。
東京池袋での、元高級官僚による交通事故。一瞬して家族を奪われたご遺族の気持ち。高齢化社会の時代にあっては、常に隣り合わせに起こり得る事故。
川崎市登戸の無差別殺傷事件。事件の真相究明はこれからということで、発言は控えるべきと思います。平成の時代にも、大阪池田小学校や秋葉原の通り魔の無差別殺人はありました。犯行者の動機は、社会から疎外された不満が原因ということになっているようです。
横浜にある無人運転の新交通システム「シーサイドライン」が逆走して人身事故が発生。AI時代、身近な道路での自動車の自動運転も間近という昨今。何故と考えても、答えを見つける力がありません。
事件や事故の性質は、それぞれで、防ぐ方法や対応方法について、意見や考え方はあっても、「絶対」はない。こんなにもたくさん、私たちの身の回りに、いつ、どこで、誰にでも、被害者、加害者、あるいはその家族や近親者にもなり得る事がある。でも、その決定的な解決方法となる術を知る人は…。
「他人事ではない」、「居ても立っても居られない」。事件現場での花やお供え物を手向けて、手を合わせる姿を目にします。平成の自然災害が起きる都度、被災地の思いやりや絆を多くの日本人が寄せたと思います。喜びも悲しみも、人に寄り添う生き方を、平成天皇は見せてくださり、令和の時代にも日本人の心に宿っているように思います。
世界では、覇権を争う大国の経済摩擦。未だ、軍事力の誇示。格差による対立。自国主義が横行しています。日本にあっても、自由、多様性、個人尊重…といった潮流はありますが、日本が繋いできた心の歴史に希望を持ちたいと思います。「孤独な人」をつくらない。「孤独な人(無関心)」にならない。せめて、そんな心がけは大切にしたいと思います。
今月は、結びの言葉は、お休みします。(19・6・2)