【穴熊社長の蛙鳴蝉噪(あめいせんそう) 5月号】

「国が責任をとる」という言葉があります。「公」に関する事で、合理性、妥当性、個人や一部の人ではとることが馴染まない、などといった見地からそうすることがあります。また、専門的で国民には測りしれないことも、国が保障するなら大丈夫ということで安心することもあります。過去に薬害、公害に対し国家のリーダーが謝罪し、国の責任と言い切る場面もありました。中に裁判で敗訴し責任をとることも。責任には経済的損失が伴うことも多く、首相が責任をとるといっても、それは、首相個人がとるのではなく、国民が等しく税金で賄い合う。つまり、国民で責任を分かち合うということが、その真意いうことでしょうか。
 この4月に初めて鹿児島・知覧に行く機会に恵まれました。ご存知かと存じますが、先の大戦で1037名の特攻隊が飛び立った地です。戦争末期、人類史上類例の無い作戦として爆弾搭載飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃の出発地です。平和会館には、隊員の皆様の写真、遺書、遺品等の展示があります。隊員の多くは、17~20歳の若者達で、日本人のみならず、中国、韓国、北朝鮮、台湾の人達もいたそうです。純真で爽やかな笑顔の若者達の当時の写真には何とも言えない複雑な悲しみを感じます。ご一緒させて戴いた妙心寺派の高僧の栽松完道老師(岐阜)の先導で、英霊に合掌して参りました。出撃前夜に隊員は、富屋食堂という軍の指定食堂で食事をとります。店主であり、母親代わりのように見送った「特攻おばさん」と慕われた故鳥濱トメさんの旅館に泊まりました。今は、トメさんのお孫さんの奥様が女将を務め、お話を聞かせていただきました。戦後、トメさんが遺族が知覧を訪れた時に宿泊できる場所、二度と悲しい戦争が起きないようにと後世に伝え続ける場所として創業し、ひ孫のお嬢さんも旅館で思いをつなげていらっしゃいます。戦後67年が経ち、戦争を体験し乗り越え、それを語れる人たちが少なくなってきました。今朝、人工衛星と称してミサイルが北朝鮮で打ち上げられた模様です。
誰もが戦争はあってはならないと分かっていても、頭と行動が異なるのも人の常です。「国民の責任」として、二度と不幸は繰り返さないと誓い、未来の平和を願います。今月も、お元気様です。(12・4・13)
     株式会社 エマ商会    依 馬  邦 夫