『穴熊社長の蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)2024年1月号』

 令和6年の1月号となりました。本年も宜しくお願い申し上げます。
 令和の時代も、6年目を数えるようになりました。元号は、まさに日本の歴史。日本の元号は、「大化の改新」(西暦645年)を契機に始まったとされます。天皇が代わる時、国家的におめでたい事があった時、災害や病気等を断ち切りたい時に、元号が変わるというのが一般的な解釈です。令和に変わる時、失われた30年と揶揄(やゆ)された平成の時代から、2度目の東京五輪を目前に、5月の奉祝ムードの中、10連休から始まって、5年の歳月が流れたという事になります。希望を抱いた令和の時代も、コロナの世界的な流行、戦争の勃発、気候変動による災害が地球規模で続きます。
 いろいろありますが、新しい年の始まり。心も新たに希望の溢れる1年にしたいものです。皆様の、ご多幸を祈念申し上げます。
 ある方が、「天皇家は、国民の実家のようなものだ」と言いました。なるほどと思います。50代も遡れば、今、生きている人はどこかで血がつながっている。日本民族の象徴として継承されている天皇家は、確かに、「本家の主人」(表現は失礼ですが)と言えるでしょう。そう思うと、お正月にテレビに映し出されるお姿やお言葉から受ける温度も変わるかもしれません。
 国歌である「君が代」。ギネスブックには、「世界最古の国歌」(鎌倉時代)とあるそうです。原歌(もとうた)は、「古今和歌集」(西暦905年)にあり、「読み人知らず」。原歌の歌詞の出だしは、は、「君が代」ではなく、「わがきみ」。当時の解釈では、女性が尊敬したり、愛した男性に向けて詠んだと言われます。原文の最古の記録としては、「和漢朗詠集」(西暦1013年)残されているようです。「君が代」とは誰か。軍国主義時代には天皇とされたという向きもありますが、天皇は「君」ではなく「大君」、「代」ではなく「御代(みよ)」でないと失礼な表現になるので、それは間違いと某識者は語ります。原歌を現代風に解釈すると、「わたくしの愛する人のいのちが、どうかいつまでも長く続きますように。例えば、小さな小石が寄り集まって、ぎっしりと固まって大きな岩となり、それに苔(こけ)が生えるまで、どうかおすこやかに生きてくださいませ」となります。「わがきみ」ではなく、「君が代」なので、「目の前のあなた」と読み替えてみる。つまり、国民同士が、あなたの命を大切に想い、讃えあっている国歌といえるのではないでしょうか。国民すべてを家族と思い、命を大切に讃え合う。そんな平和な1年である事を、共に願いたいと思います。
今年も、お元気様です。(23・11・30)