「〇〇年に1度」。「記録的な」。6月の末に、気象庁から、関東地方の梅雨明け宣言から、一転。7月に入り前線の停滞による大雨。自然災害の報道に、冒頭のフレーズが連発され、全国的に大きな被害が続きました。木曽地域にあっても、警報が発令。避難され、不安な日々を過ごした方もいらっしゃると存じます。清らかな水や空気。自然の恩恵を受けて暮らすことは、一たび発生する自然災害とも向き合う事にもなります。便利な暮らしも、災害による打撃を受ければ、復旧にいたるまで大きな痛手や影響を受けることになる。自然(地球)と人類の科学(技術)進歩との折り合い、共生の在り方について考えを巡らせます。
AI(人口知能)が未来を変えるというものの、気象予報・地震予測は、確信とまでは至らず、歴史的な記録は、人類が「記録」として残していたり、考古学により、過去の推測をもって、時代考証している。どの程度信ぴょう性もって、将来の判断材料とするかは別物。常に、「未知との遭遇」にならざるを得ないかと思います。
定期的な修繕や立て直しはあっても、百年、千年単位で現存する、神社仏閣も日本にはあります。それらは、AIや記録といったものに頼るべくもなく、先人の知恵や経験、伝統が根ざす、極めてアナログ頼み。そうした意味においても、日本に残る言葉の伝承、諺、言い伝えの「本質」を見失わないことも大切に思います。
「働かざる者、食うべからず」。和、正直、勤勉を尊んだ日本人の伝統的価値観。反義語は、「不労所得」かと。豊かな時代となり社会福祉上、不遇な環境や立場を公助することは誰もが賛成はしても、それを悪用したり上手に利用する人もいるのも世の常。生活保護や労働支援的な制度について、疑問視する点も多々。法的な手続きを踏めば、制度の目的に反していても、不労所得を得てしまう。その財源は、真面目に働く人たちの所得が生み出す税金。「働き方改革」も、「働く本質」についての議論は聞こえない。
教育の最高官僚の子弟が最先端医療を擁する私立大学の不正入学と収賄。教育、医療の世界で起こった事。忘れたい狂気な事件。でも忘れはしないオームの一連の事件。死刑執行がなされました。真相は解明されないままに、過去の出来事に。
世の中や人生は理不尽なことがあって、当たり前。それでも、平成の末期にあって、平静を装うことも難しく感じる、今日この頃です。
今月も、お元気様です。(18・7・8)
株 式 会 社 エ マ 商 会 依 馬 邦 夫
『穴熊社長の蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)2018年8月号』
2018-08-01