『穴熊社長の、蛙鳴蝉噪(あめいせんそう) 2013年4月号』

卒・入学シーズン。今年は、我が家もそんな節目の年となりました。それもあってか、半世紀にわたり教育者として現場に携わる先生の、「ゆとり教育の残した社会的影響」についての話をお聞きす機会がありました。ゆとり教育は、詰め込み教育の反省として、従来、小学校で習ったところを中学校へ、中学校で習った事を高校でという事をしてきました。尚且つ、土日休みも段階的に導入され、今では当たり前になりました。学ぶことを減らしたり、先延ばしにしたり。加えて、学校へ通う日数も減れば、教育の「量と質」の両方を下げて
いるのですから、こどもの学力は低下するのは自明の理ですね。当時、円周率が、「3.14」を「3」にするとか、運動会では、順位をつけない…など、従来の学校で過ごしてきた者からすると、違和感を感じ、「本当にそれでいいの?」と思った大人も多かったように思います。といいつつ、「そんな時代かな…」と、いつの間にか迎合してきた大人たち。そんな感覚を、大人たちも、会社や職場、日常生活へと、無意識のうちに
持ち込み、浸透させてしまってはいないか。「ゆとり社会」ではなく「ゆるい社会」にしてはいないかとの問いかけです。

学力低下の現実に気付き、脱・ゆとり教育に舵を切った教育行政。グローバル経済と言いつつ、日本を代表する家電メーカーは、従来日本企業をお手本として目指してきた韓国に追い抜かれ、水をあけられてしまっています。それが全ての理由とは思いませんが、お隣韓国のこどもへの教育は熾烈であり、格差社会の様相は、日本の想像以上です。 「厳しい」とか「大変」時代とはいうものの、日本はホームレスであっても生きていけるし、自殺者が3万人続く世の中であっても「餓死」のニュースを聞くことは、まずありません。不思議ですね。

 安倍政権となり「愛国教育」について語られるようになりました。領土問題で報じられる近隣諸国の愛国教育。日本も同様になる事はないかと思いますが、「おかげさま」とか「お天道様がみている」、「恩」といった、日本人が代々大切にしていた価値観。家庭や社会で学びにくい時代に、敢えて学ぶ教育の時間も必要であるようにも思います。みなさんは、いかがお考えになりますか。

今月も、お元気様です。
(13・3・11)
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