『穴熊社長の蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)2025年2月号』

 「小さな親切、大きなお世話」。ちょっとした親切のつもりでも相手が迷惑と感じる場合もあるからやめておけという俗語表現。近年、他人との関わりを避ける傾向があり、その線引きが難しい。特に、価値観の多様化が重んじられたり、物騒で凶悪な事件も続き、見知らぬ人との接触に注意を要するような時代になっているところもあります。「分断社会」、「格差社会」という言葉にも、そうした意味も込められているのかもしれません。
 久しぶりに、夫婦で東京にいる子どものところに行ってきました。往きのあずさの車中の出来事。前席に座っている老紳士(にみえる)が、夕方の時間帯という事もあって、晩酌をしながら読書中。途中、若い女性が乗車し、老紳士の隣の窓際の席に座ろうとしたところ接触し、お酒がこぼれました。その後、乗客が続き、床にこぼれたお酒の上を知ってか知らずか踏みつけて、2,3人が通過。程なく列車が出発。こぼれたお酒は通路で放置。当然、揺れにより浸水は拡大。暫く静観していましたが、誰も対応する気配もありません。自分も被害を被る可能性はありますが、車中のみんなが不快な思いをするよりはと、意を決して(そんな大袈裟な!?)行動。トイレからトイレットペーパーと便座の消毒用のウェットティッシュを拝借し、私が、床を拭き始めました。1回では拭ききれず、デッキに行き使用済のものをゴミ箱に捨て、再度、トイレットペーパーを借用し拭き始めました。そうこうしていると、若い女性の車掌が来て、「どうされました?」と声をかける。すると、お酒の持ち主の男性が、「俺がこぼした」とぽそり。「今、モップを持ってきますね」とデッキの方へ向かう。ある程度は拭き終えて、私もデッキのゴミ箱に向かうと、デッキにて、先程の車掌から、「もう大丈夫ですね」と声をかけられる。いや、大丈夫かどうか私が判断する事なんだろうか。お互い様、乗客として協力したとしても、車両の安全・安心な移動や快適な空間を担保するのは乗客の私ではなく、スタッフの仕事ではないだろうかと思い、「私は判断できません」と返事をすると、「ありがとうございました」と一言残し車掌はその場を立ち去りました。座席に戻ると、車両の中は、何事もなかった空気で、その老紳士を始め、誰からも労いや感謝の言葉もありません。感謝されたかった訳でもなく、いい人ぶる気があった訳ではないつもりでも、後味は悪い。
 今の日本社会、これからの日本。大丈夫かな。大きなお世話かも知れないけれど…。
 今月も、お元気様です。(24・12・23)