『穴熊社長の蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)2022年11月号』

 「喜怒哀楽」。人間の感情について、そう言い表す事があります。人には、喜びもあり、怒りもあり、哀しみもあり、楽しみもあります。なるべく喜ぶ事や楽しい事ばかりがあれば良いですが、そうはいかないのが人間。目の前に同じ出来事があっても、必ずしも、隣にいる人と同じ感情になるとも限らないのも人間ですね。

 「怒る」という感情。誰にもある感情ですが、どんな場合に起きやすい感情か。一言では尽くせないかと思いますが、「相手が自分の意に反する言動をとった」場合。「相手が自分の存在、価値を否定するような言動をした」場合に起きるという理解はできるでしょう。

 親子間。怒る側、怒られる側。「まだ、宿題やってないの!!」。多くは、どちらかの経験がおありでしょうか。やらなければならない事は、子どもも分かってはいて、親はやってない事を指摘し、「怒りという感情」をぶつけて、子どもに宿題を終わらせるという意に沿った行動をとってもらう。怒りの感情をぶつけられた子どもは、その威嚇を受け、渋々机に向かう。はたまた、「今やろうと思ったのに」と、感情をぶつけ返し、親子ケンカに発展する事も。宿題をするのは、誰のため?子ども本人の為であり、わざわざ感情をぶつけて、行動を変えさせるだけが、唯一の方法である訳ではなく、やる気にさせる言葉がけや、動機付けの方法は他にもあるはず。「叱る」と「怒る」の違い。行為を正そうとして、理解させ、行動させる。そこに、敢えて、怒りの感情を込める理由が本当にあるのか。

 怒りをぶつけられた側は、怖さを理由に怒った側のいう事を聞く。または、争いを好まない性分からか言う事を聞く。自分の事を思う愛が故にと素直な寛容な心をもって言う事を聞く。もちろん聞かない場合も、ままありますね。

 「抑止論」。核抑止とは、核兵器の保有が対立する二国間関係において互いに核兵器の使用が躊躇される状況を作り出し、結果として重大な核戦争と核戦争につながる全面戦争が回避されるという考え方です。日本は核兵器を保有する国ではなく、抑止力を行使できませんが、同盟国であるアメリカ合衆国が核兵器を保有しているので、その傘下にあると理解されます。今、ロシアのウクライナ侵攻では、核を使用する脅威を盾にしたり、間もなく核兵器が使用されるという懸念もあります。

 「怒り」という感情を態度にして相手に言う事を聞かせようという行為は、子どもの頃の「駄々をこねる」経験が、大人になってもその成功体験が忘れられず、「あの人は、怒ると怖い、面倒だから言う事を聞こう」なんて事も、世の中には、たまにはあることです。

 某国の大統領は、どんな性格で、何を考えているかを知る術がありませんが、「たちが悪い」のは間違いがありません。国家も個人も、対話で理解しあいたいものです。

 今月も、お元気様です。(22・9・30)